コモドゥス帝

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コモドゥス帝というと、私自身
映画「グラディエーター」でのイメージが強くて
乱暴者で、無法者で、派手好きで大酒飲なダメ男像が強いのですが
本当にそのような人だったのでしょうか。
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ローマ皇帝は世襲制ながら、先の4賢帝が実の息子に恵まれず
有能な人物と養子縁組を結び次期皇帝を選べだのとは違い
マルクス帝には、この息子「コモドゥス」がいてしまい、皇帝としての器量なら他に
いい人材はいたのだろうが、息子がいるのに養子縁組をして次期皇帝を
誕生させるのはリスクも大きく、また当時のコモドゥスは
変身後の彼のような素質を見せていなかったのでした。
マルクスと共同統治も経験し、可もなく否もなくな感じで
マルクス死後「コモドゥス」(19歳)が新皇帝に就任した。
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就任直後の新皇帝は「ダキア戦争」を終了させ、ローマに戻り
さほど皇帝らしい事もせず、競技にうち込むタイプの公務には無関心の皇帝であった。
しかし、皇帝の周りにはマルクスの残した側近達がいたので
コモドゥスが下手に動くより、側近達に政治や軍事をやらせていた方が
賢い選択だったのです。しかし皇帝就任二年目に
最悪の事件がおきるのです。
もしこの事件さえなければ、「コモドゥス帝」は
ただ気のいい皇帝で歴史を終えれたのかもしれなかったのに。

その事件とは、皇帝の姉「ルッチラ」が皇帝暗殺の陰謀を企て、
実の姉、それも皇帝がかなり慕っていた姉による陰謀だと知った
コモドゥスは猜疑心の鬼と化してしまい、その後、疑いある人間は殺すタイプの
人間へと変わってしまったのでした。
暴君化した皇帝ではあったのですが、政治への無関心は以前よりもまし
この皇帝がやった事と言えば「ダキア戦争を集結」させた以外は
「疑いのある人物を死刑にする」
「剣闘士として試合に参加する」
「獅子の皮を頭から被る」など
皇帝らしい事をほとんどしなかった皇帝なのです。
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父は「哲学皇帝」だったのにその息子は「剣闘士皇帝」と言われ
31歳の時に側近に暗殺されその生涯を閉じます。
死後元老院により「記録抹殺刑」を処されるのですが。
余り何もやらなかった皇帝なので、抹殺する記録もほとんど
なかったそうです。


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by romanphoto | 2012-01-08 23:23 | ローマ皇帝