ペルティナクス皇帝の死後、ローマ皇帝に君臨したのは
ユリアヌスでした。
ペルティナクス皇帝はローマ市民やローマ軍の人達には
大人気だったのですが、嫉妬要因の対策を怠った為
僅か87日で、殺されてしまったのです。

このユリアヌス皇帝の場合は
ローマ軍の出身ではあったのですが、生まれは元老院階級の息子
ローマ軍での階級は現代の会社で言う所の「専務」やら「常務」
軍団兵に言わせると「なんであいつが皇帝になれちゃうの???」な感じ・・・

しかも軍人や市民の人気者「ペルティナクス皇帝」の暗殺後に
就任した皇帝だったので、何か「キナくせー」って感じで
市民にも軍人にも不人気。

そんな中次期皇帝になる男「セプティミウス・セウェルス」が
ローマではない他の場所で「次期ローマ皇帝はアナタです」宣言をされ
ローマ軍、ローマ市民、元老院は「キナくセー」皇帝「ユリアヌス」よりも
「セウェルスさん皇帝になって下さい」ムードが満開になるのでした。

「ユリアヌス皇帝」は誰からも見放され
皇帝就任66日後、死刑執行人に発見され、殺されてしまったのでした。

でも「ユリアヌス皇帝」も決して駄目な人ではなかったのです。
むしろそこら辺にいたら、「この人、頭いいなぁー」って尊敬される人なのです。
でも、「ローマ皇帝」ともなると役不足で
死因「他殺」になってしまうのかもしれません。

次期皇帝「セウェルス」は優秀な皇帝だったのですが
その息子が、ダメダメな皇帝だったのです。
ローマ帝国の崩壊のレールを確実に作った男の父親「セウェルス」

もし、マルクスに「コモドゥス」って子供がいなくて
「コモドゥス」が仮にいても「ペルティナクス」が暗殺される事なく
皇帝としてよきローマを作ったなら
もしセウェルスのあの日の体位が違ったなら・・・・・・
最悪な皇帝「カラカラ」の誕生はなかったのでしょう。

しかし歴史は、良くも悪くも
「きっかけは××さん」な人材を輩出する訳です。

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by romanphoto | 2012-01-26 22:13 | ローマ皇帝

コモドゥス帝が暗殺された後
ローマ皇帝になったのが、このペルティナクス
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ローマ軍では80人の兵士を率いる百人隊長になり
その後も地道にキャリアをかさねていき
元奴隷出身のこのペルティナクスは皇帝に
まで上り詰めた、ローマ帝国時代の
サクセスストーリーな人なのです。

皇帝に就任後の彼は、元老院議員達とも
うまく折り合いをつけて、なかなかの政治を行っていたのですが、
人事面でレトーという男に恨みをかい
皇帝就任87日目にして、兵士達に殺されてしまうのでした。

しかし、こういう話を読んでいると
人を10人程度まとめるのも大変なのに
何千、何万、もの人間をうまくまとめて統治するなんて
至難の業だなと思う訳です。

皇帝としては僅か、87日でお払い箱になった
ペルティナクスも軍人として、人間としてはとても
素晴らしい方だったと聞きます。

ローマ皇帝の死因一位は他殺。
恐ろしいポジションなのです。
あの天才カエサルの死因も他殺です。

もし、私がローマ皇帝なんかになったら
間違いなく、他殺されそうです。
そう考えると、ローマ皇帝にいがちな
「自分を殺しそうな人間は全員死刑」って言葉を
有言実行してしまう
ローマ皇帝の気持ちが何となくわかります。

ローマ皇帝になるには相当人間としての格が高くないと
偉大な皇帝にはなれないのでしょう。
しかもプラスで「運」ってのも必要なきもします。

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by romanphoto | 2012-01-22 20:27 | ローマ皇帝

コモドゥス帝

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コモドゥス帝というと、私自身
映画「グラディエーター」でのイメージが強くて
乱暴者で、無法者で、派手好きで大酒飲なダメ男像が強いのですが
本当にそのような人だったのでしょうか。
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ローマ皇帝は世襲制ながら、先の4賢帝が実の息子に恵まれず
有能な人物と養子縁組を結び次期皇帝を選べだのとは違い
マルクス帝には、この息子「コモドゥス」がいてしまい、皇帝としての器量なら他に
いい人材はいたのだろうが、息子がいるのに養子縁組をして次期皇帝を
誕生させるのはリスクも大きく、また当時のコモドゥスは
変身後の彼のような素質を見せていなかったのでした。
マルクスと共同統治も経験し、可もなく否もなくな感じで
マルクス死後「コモドゥス」(19歳)が新皇帝に就任した。
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就任直後の新皇帝は「ダキア戦争」を終了させ、ローマに戻り
さほど皇帝らしい事もせず、競技にうち込むタイプの公務には無関心の皇帝であった。
しかし、皇帝の周りにはマルクスの残した側近達がいたので
コモドゥスが下手に動くより、側近達に政治や軍事をやらせていた方が
賢い選択だったのです。しかし皇帝就任二年目に
最悪の事件がおきるのです。
もしこの事件さえなければ、「コモドゥス帝」は
ただ気のいい皇帝で歴史を終えれたのかもしれなかったのに。

その事件とは、皇帝の姉「ルッチラ」が皇帝暗殺の陰謀を企て、
実の姉、それも皇帝がかなり慕っていた姉による陰謀だと知った
コモドゥスは猜疑心の鬼と化してしまい、その後、疑いある人間は殺すタイプの
人間へと変わってしまったのでした。
暴君化した皇帝ではあったのですが、政治への無関心は以前よりもまし
この皇帝がやった事と言えば「ダキア戦争を集結」させた以外は
「疑いのある人物を死刑にする」
「剣闘士として試合に参加する」
「獅子の皮を頭から被る」など
皇帝らしい事をほとんどしなかった皇帝なのです。
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父は「哲学皇帝」だったのにその息子は「剣闘士皇帝」と言われ
31歳の時に側近に暗殺されその生涯を閉じます。
死後元老院により「記録抹殺刑」を処されるのですが。
余り何もやらなかった皇帝なので、抹殺する記録もほとんど
なかったそうです。


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by romanphoto | 2012-01-08 23:23 | ローマ皇帝

マルクス皇帝は皇帝になった当初は
ルキウス・ウェルスという人と一緒に皇帝をやっていたのですが
ルキウス皇帝はわずか八年で死去してしまい
後の20数年をマルクスは一人で皇帝業を営んだ訳です。
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マルクスが当初皇帝を二人でやった理由の一つに
マルクスは哲学が大好きで、その勉強の時間を確保するために
皇帝を二人でやっていたという話もあります。
「自省録」というマルクスの本は今でも本屋で売っています。
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マルクスが皇帝になってからのローマは
先代アントニウス・ピウス帝の時代とはうって
かわり、戦争や疫病など、かなりあれた時代へと突入したのです。
カシウス・ディオのマルクスへの言葉が全てを物語っていて
「マルクス・アウレリウス帝は、その人物にふさわしい幸運には
恵まれなかった。体も強健ではなく、治世の間のほとんど
最初から最後まで、多くの厄介事に巻き込まれた。しかしだからこそ
私は彼を賞賛する。言葉を絶する苦境の中で生き抜き、なおかつ
帝国を保持し続けた彼を」
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コロンナ広場にあるマルクス・アウレリウスの記念柱
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今度ローマに行った時はもう少し
上手く記念柱を撮りたいです。
次回の皇帝紹介はいつになるかは気分次第ですが
ついに、あのグラディエイターの時代の皇帝
体にヘビを巻き付けたイメージのコンモドゥス帝です。
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観光ガイドコロンナ広場はトレヴィの泉のすぐそばで
マルケス・アウレリウスの騎馬像はレプリカはカンピドーリオ広場のセンターで
本物は隣接するカピトリーニ美術館の中にあります。



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by romanphoto | 2011-09-23 23:04 | ローマ皇帝

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久しぶりにローマ皇帝を紹介します。
今回は哲学皇帝「マルケス・アウレリウス」です。
この上の騎馬像カンピトーリオ広場にあるのは
実はレプリカで
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カンピトーリオ美術館の中にある騎馬像が
本家のなのです。
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アンチローマ帝国な
キリスト教の時代にヨーロッパが進んでいったのに
マルケス様の騎馬像が破壊もされずに
現世まで残っているのは
実は
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キリスト教万世皇帝だったコンスタンティヌスの(↑↑↑コンスタさん)
銅像と当時の人々が勘違いしていて
運良くマルケス様の立派な騎馬像は
破壊される事もなく
未来人達も見る事ができた訳なのです。
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私も、マルケス様とアウグストゥス様とは
余りにも嬉しくてツーショットで写真を撮って
しまいました。
(あ、貼る写真間違えました・・・)
次回は皇帝としてのマルケスっち
紹介します。




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by romanphoto | 2011-09-12 20:58 | ローマ皇帝

アントニウス・ピウス帝

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今私達がみる、美術館などに飾られている石像の多くが
白や、茶や、グレーの単色になっているのですが
作られた当時は、かなりド派手な色合いをしていたらしく
年月の風化により、色がはがれ、あのような単色な
銅像になっていったらしいです。
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当時のローマ帝国を経験したいなら、
現代のインドやネパールなどに行ってみてはと、ある本で読んだのですが
インドって普通にヤギや馬とすれ違ったり
店にいたら、像?が入って来たなんて、話も聞いた事があるし、
その上女性一人でそこら辺にいるだけで相当にナンパされるらしいです。
なんか「ローマ帝国=現代のインド」は何となく納得できます。
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で、アントニウス・ピウスさんは
偉大なるハドリアヌス帝の、次の皇帝だったのですが
この皇帝は本当にいい人だったみたいで、
この皇帝の統治している間のローマは超幸せだったみたいです。
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人の思想は現実になると言いますが
アントニウス・ピウスさんは、優しくて、おおらかで
誰にでも優しい人だったらしく
このような、「ノホホン茶」みたいでも、実は頭の切れる人が
日本の首相になってくれればと感じるのです。
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by romanphoto | 2011-07-23 20:19 | ローマ皇帝

ハドリアヌス帝がバイセクシャルだった事は
有名な話なのですが、
古代ローマでは同性愛というのは
同性愛という言葉が存在しない程に
普通に行われていたらしい。
ただし身分が上の者が、身分の下の者に抱かれたり
年上が年下に抱かれるなどの行為は
好ましく思われていなかったようです。
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確かに↑↑↑の銅像の写真のようにアンティノウスは
なかなかの男前で、ハドリアヌスが愛してしまうのも
なんだか、わかるような気もします。
*カピトリーニ美術館にアンティノウスの像はあります。

しかしこのアンティノウスは、ハドリアヌスと船で旅してる時に
海に落っこち、死んでしまいました。(他殺、自殺のせんが高い、一説によると
歳をとってきた、アンティノウスが、ハドリアヌスが他の若い男に
心移りする前に、自ら命を絶った説が有力)
アンティノウスの死後
ハドリアヌスは落ち込んでしまいました。
その後ハドリアヌスはアンティノウスの像を作らせたりと
思い出作りに走ったりする訳です。

愛の形には色々な形があるのでしょう。


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by romanphoto | 2011-06-12 22:07 | ローマ皇帝

ハドリアヌス

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ここ数回にわたり紹介していた
「ハドリアヌスの長城」は
実はこのハドリアヌス帝を紹介するための
アンディパストミストだった訳です。
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この皇帝はどんな事をやったのか
①ローマ帝国中を視察しました。
②パンテオンを再建した。
③ハドリアヌスの長城を建設
④その他もろもろ・・・・・・・
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ユルスナールって人が書いた
「ハドリアヌス帝の回想」は
かなりじっくり読まないと、頭に入ってこないのですが
ハドリアヌスを詳しく知りたい人には、
多少レコメンドします。
又は、ウィキぺディア、塩野七海、キボン、ローマ皇帝歴代誌などなど
読むと、ハドリアヌスを詳しく知れるかも
(自分で紹介する気がすでにない<*.*>
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次回はハドリアヌスの恋人アンティノウス
の事を書きたいと思います

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by romanphoto | 2011-06-09 22:25 | ローマ皇帝

トラヤヌス

今回紹介する皇帝はトラヤヌスです。
前回のネルウァ帝紹介の時「五賢帝時代」は
トラヤヌスから始まるみたいな書き方をしてしまったのですが
実は五賢帝時代の始まりは先代ネルウァ帝なのでした・・・・・・

トラヤヌス帝は、歴代のローマ皇帝の中でも
いい意味でかなり有名な皇帝で、ダキア戦争での勝利(征服)
また、軍事面だけでもなく、素晴らしい建造物を
世に送っています。
「トラヤヌス市場」
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このトラヤヌス市場って、中に入らないで外から見るだけの人が多そうですね?
ですが、ここから見るローマの景色は物凄く素敵です。
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ついでに市場の中は、なんかダンジョンぽい
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「トラヤヌスの記念柱」
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この記念柱のてっぺんにいる人は、何故か聖ペテロ
「トラヤヌスに取り替えて欲しいな」と感じる人は結構いるでしょう。
「トラヤヌスの広場」
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まあ、この辺りでしょう。
ローマ時代の建築物が、ほぼ破壊された状態でしか残ってないのは
少し悲しい。
話によれば、あのコロッセオもフォロロマーノも中世のヨーロッパ人達の
かっこうの、石の採石場だったみたいで、
もしそのような、愚かな行為が行われていなければ
今頃、かなりローマ時代そのままのローマを見れたのかなと
思うと、石を採石した、中世のヨーロッパ人を
横一列に並べて、ひっぱたいてやりたいです。

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しかし、もしあの時代のままのローマが現在も存在していたなら
フォロロマーノとか、改築して、賃貸住宅にされたりしなかったのかなとか
何気に想像してしまうのです。


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by romanphoto | 2011-05-15 18:19 | ローマ皇帝

ネルウァ帝

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ドミティアヌス帝暗殺後に皇帝に君臨した
ネルウァ帝が帝位についたのは61歳の時で
当時の61歳はかなりの老人だった訳です。

帝位についた16ヵ月後に
彼は天に召されます。

この老人皇帝は
初期の皇帝時代から
次に始まる5賢帝時代への
つなぎ役な皇帝だった訳です。

この皇帝の行った最も
偉大な事は、次期皇帝に
あのトラヤヌスを後継者にした事なのですから。

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トラヤヌス帝~のローマ帝国はついに黄金期へと向かいます。

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by romanphoto | 2011-04-29 09:06 | ローマ皇帝